空気人形

レトロなアパートで秀雄と暮らす空気人形に、ある日思いがけずに心が宿ってしまう。人形は持ち主が仕事に出かけるといそいそと身支度を整え、一人で街歩きを楽しむようになる。やがて彼女はレンタルビデオ店で働く純一にひそかな恋心を抱き、自分も彼と同じ店でアルバイトをすることに決めるが…。


大人のための童話かあ…なるほど。やっと観れた。
すごく透明感のある音と光と映像で、現代日本の殺伐としたリアルさと、ファンタジックで童話的な物語が見事に融合していた。なにより――もうあらゆるところで言われているけれど、私も言う。ペ・ドゥナが素晴らしい!
人形的なかわいらしさや儚さや無機質さ、すべてがどんぴしゃだった。*1
物語は、人形に心が宿って、動き出して、恋をして…とファンタジーそのもの。ただし人形は人形でもラブドール。持ち主との(時にはそれ以外の人物との)行為が描かれるんだけど、いやらしさはなく、ただ生々しかった。局部を取り外して洗うシーンなんかは、むしろ痛々しくも感じた。
この物語に出てくるのは、「からっぽ」な男女ばかり。元代用教員の老人しかり、過食症のOLしかり、年齢を気にする受付嬢しかり。みんなからっぽな心を抱えて、それをなにかで満たそうとしている。でもひとりではどうしたってからっぽな心を満たすことはできない。


「生命は 自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい」
「生命は その中に欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ」


作中に出てくる吉野弘の詩。空気人形に自分の息を吹き込んだ純一の行為がそれなんだろうか。そうすることで純一自身も満たされていたのだろうか。
空気人形も、誰かに満たしてもらうだけでなく、自分から純一を満たそうとする。でもそれは哀しい結果に終わる。けれど彼女の息はからっぽな人々のあいだを通り抜け、そっと揺らしていった。なにかの/誰かの代用品ではなく、彼女自身として初めてこの世界に生まれた瞬間だったのだろう。
心を持ってしまったがゆえに、つらく苦しい思いをする空気人形。それでも生みの親である人形師に、「この世界に少しでも美しいと思えるものがあったか」と尋ねられると、静かにうなずいた。
彼女がそう思ってくれる世界なら、まだ大丈夫なんだろう、きっと。
切なくて、哀しくて、汚い部分もあって、でもほんのりと温かいお話。ラブドールっていう題材に抵抗を感じる人が多そうだけど、少しでも気になったのならぜひ観てほしい。
★★★★

*1:脚の線を勘違いしたり、エアもぐもぐしたりするシーンがかわいすぐる。